リアリティの無いお化け

Now a page about "リアリティの無いお化け" in this blog is displayed.
HOME≫Category:リアリティの無いお化け

2014/12/24 Wed
クリスマスに、子供にとって必要な経験は、

クリスマスになると物がもらえる、
ということではなくて、

自分は幸福である
という、将来に渡って抱き続けられる実感である

その幸福を子供が自発的に、
親からの押し付けではなくて、
実感できるようにすることこそを、
親はプレゼントとして子供にあげるべきなのだ。

誕生日も同様だ。

そのために、
親は、そもそも、
子供が感じるべき幸福とは何か、
それを認識すべきなのだ。


⇒Back to "Contents" page

Click to Read More [クリスマス・プレゼント Christmas Present]...


2014/09/21 Sun
"人は同じ言い訳を一生繰り返す。"

なぜなら、言い訳とは、その人の自己肯定のための方法であり、
そこで自己を正当化している以上、
反省してそれを直すことはしないのである。

「言い訳」は、その人の善悪観なのだ。

よって、人は同じ過ちを繰り返し、同じ言い訳を繰り返す。


⇒Back to "Contents" page



2014/03/26 Wed
愛国心とは自己不安である。

爱国心自我不安

Patriotism is Anxiety for Self-existence.



観察してみれば良い。
それに縋っているものたちが、他にも同様のラベルに縋っていることを。

自己が確立していないために、ラベルに縋らないと、不安で生きていけないのだ。

そこには、他者への羨望と嫉妬からくる怒り、
及びその裏返しである他者への軽蔑によって、
安易に自己を確認しようとする感情があるのだが、
多くそれを本人が気づくことは無く、
それを指摘されれば、大抵は、それを見つめることもないままに、
激しく怒りの感情を持つものである。

自己の不安を指摘されることは、
当人にとっては、まさに生死に関わる問題なのだ。
本人にとっては必死で否定せねばならないことなのである。

だが、本人がどんなに否定しようが、
その本人はある場面で、
人種主義者またはそれと同種の論理で自己の優越をうたい、
他人を軽蔑しているのである。
Uneducatedな人間は、それを普段から表現し、
Educatedな人間は、通常人前ではそれを表現しないが、
気を許した場面で表現する。

(初出2010/10/28)

⇒Back to "Contents" page



2013/06/23 Sun
幸福も平和も その土台となるものは"信頼"である。
その"信頼"とは、互いの、"理解"、"共感"、ブレない"信念"によって成立するのだ。



⇒Back to "Contents" page



2013/01/21 Mon
あなたを 幸せにしたい
それだけを 考えてきた。
飾らずに ストレートに
大切なことを 伝えるなら
「信頼」
なのだと 私は思う。

幸せには 定義が無く
人それぞれで 定義するもの。
確かに それはそうだろう。
しかし 私は
あなたを 幸せにしたい
だから
あなたでも 同じように
幸せだと 感じる
普遍的で 本質的なものを
探してきた それが
「信頼」
なのだと 私は思う。

「絶対的な相互信頼」

私は あなたを 絶対的に信頼している。
あなたも 私を 絶対的に信頼して欲しい。

それで あなたは 幸せにはなれないでしょうか。


なぜ 「信頼」が 幸せ なのか?

人は皆 自らの
「存在価値の不安」に 脅かされているのではないか。
「存在価値の不安」を 打ち消すために 
自らの存在価値を 他者に肯定してもらいたいのではないか。
絶対的に 自らを肯定してくれる
その信頼を 得たときにこそ
人は自らの存在価値を 感じるのではないでしょうか。
人はそれを 「幸福」と 呼ぶのではないでしょうか。

神への信仰心も 結局
他者に自分を肯定してもらいたいという欲求の形。
「信頼」を 絶対者から 得ようとしている
不安の形、寂しさの形、それを打ち消そうとする足掻き。

愛も
それが戯れでなく
真の愛ならば 
絶対的な 信頼関係を 
基底としているべきではないでしょうか。


「絶対的な相互信頼」

それこそ 永久不変の幸せの形
一度築かれた 絶対の信頼は
例え離れ離れに なったとしても
決して消えない だからこその絶対の信頼

だから 本当の幸福は
相互の努力で 築きあげる関係性のことであり
一度築かれれば 永久に心に生き続けるものなのだ。


「絶対的な相互信頼」

個人の幸福も ひいては世界の平和も
それで実現 するのではないか。
私は本気で そう思う。


あなたを 幸せにしたい
それだけを 考えてきた。
飾らずに ストレートに
大切なことを 伝えるなら
「信頼」
なのだと 私は思う。

私は あなたを 絶対的に信頼している。
あなたも 私を――

あなたは 今 幸せですか。
そうあってほしいのです。


⇒Back to "Contents" page



2012/11/18 Sun
2012/11/18(再掲)
イスラエルのガザの大規模空爆、地上侵攻準備。
ハマスの報復によるテルアビブへのロケット弾発射。
両者に反対します。

Stop air strike, Stop ground attack by Israel!
Stop revenge by Hamas!

the_apartheid_wall_02.jpg

パレスチナ分離壁

あの壁がもしカステラだったら
みんなで分けて食べられるのに

あの壁がもしカステラだったら
僕ら子供がこんなに労働しなくて済むのに

あの壁がもしカステラだったら
みんなとお土産の売り上げを競わなくても済むのに

あの壁がもしカステラだったら
僕ら子供がもっと勉強できるのに

あの壁がもしカステラだったら
食べればトンネル掘れるのに

あの壁がもしカステラだったら
食べた穴から手を出して

あの壁がもしカステラだったら
みんなで握手が出来るのに

あの壁がもしカステラだったら
どれだけのカステラが作れるのだろう

あの壁がもしカステラだったら
どれだけのカステラが食べられるのだろう

あの壁がもしカステラだったら
なのになんで壁なんだろう?

あの壁がもしカステラだったら
それは御伽ばなしなのですか?

あの壁がもしカステラだったら
誰かがそう思っていたなら変わっていたはず

あの壁がもしカステラだったら
この言葉は夢じゃないはず

あの壁がもしカステラだったら
壁を作るより食べ物

apartheid wall in Palestine


⇒『パレスチナ分離壁』の記事も参照する

⇒『ブタだって飛ぶかもしれない!』の記事も参照する

Click to Read More [あの壁がもしカステラだったら If the wall is sponge cake]...


2012/11/11 Sun
「正義」だなんて やめないか
真に正しい ことならば
「正義」だなんて 大層な
言葉なんぞは 必要ない

「正義」だなんて egoism
正しさ説明 できぬ時
自分の要求 強引に
通すためにと 使われる

「正義」だなんて 言われたら
時間・空間 文化・価値観
超えて普遍な ものなのか
まずは確認 してみよう

「正義」だなんて 言われたら
正しさ判断 するための
criteriaと evidence
ちゃんとあるのか 着目しよう

「正義」だなんて やめないか
「正義」だなんて 言わずとも
criteriaと evidence
正しさ議論 できるのだ

「正義」だなんて 使うから
そこで思考が 停止する
「正義」だなんて やめないか
「正義」だなんて ぶっ壊せ!!


⇒Back to "Contents" page



2012/08/09 Thu
その人が何であるかは、"その人が何を信じているか"に他ならない。
良くも悪くも。


⇒Back to "Contents" page



2012/02/19 Sun
「アメとムチ」は「支配」するための道具だ。

それを「教育」だと信じて利用する者の、
なんと多いことか。

全く真逆のものであるのに。


⇒Back to "Contents" page



2012/02/17 Fri
ある種の 教育者にとって
教育とは
恐怖軽蔑を 植え付けることなのだ。

教職を聖職と 語るものにとって、
恐怖と軽蔑を 植え付けることが
崇高なる 正義なのだ。

彼らが欲しているのは 「他人を支配すること」であり
彼らにとって教育とは 「それが相手のためだ」と振りかざす
犯すべからざる 錦の御旗なのだ。

我々は 自分で身を守るしかない。
相手は 教育、すなわち恐怖と軽蔑の刻印が
正義であると信じて疑わないのだから。

見極めるのだ。
その教育が 自発的な成長の喜びを促すためのものなのか、
教育者の 意の下に拘束し隷属させるためのものなのか。

見極めるのだ。
聖職という権威に頼って 教育を行う者を。
正義の名の下に 教育を行う者を。
それは時に指導者であり、
それは時に支配者であり、
それは時に親でもあるかもしれない。

見極めろ。
自分のために。
見極めろ。
自分の大切なもののために。
見極めろ。
教育を。教育者を。


⇒Back to "Contents" page